吐息
つぶやき。
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それでも、ひとつ、知ったこと。
期待しないさめた目線の自分が、

それでも、ひとつ、知ったこと。



望まなければ手に入らないものがあるということ。

いや、望んでもまず手に入らないけれど、

それでも、まず、望まなければ手に入りようが無い。

そんなものが、ある、ということ。



宝くじは買わなければ当たらない。

たとえ、どんなに割に合わない確率でも、

0よりはましだということは理屈では分かる。



宝くじの場合だと、その確率に挑戦したいほど、

その先にある「当たり」に私は興味がもてないから

買わないけれど。



うん。



だから、望むことから始めよう。

と思った。



たとえ、それが、どんなに笑ってしまうような夢でも。

「当たり」があることを知っているから。



期待する能力がない自分には、

それは、とても難しいけれど。



確かに、自然に手中に転がり込むようなものではないのだから。
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【2008/04/29 18:15】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0)
期待しないこと。
他人に全然期待しないよね。と。言われてみたりする。

私は肯定する。

「でも、それは、「他人に」だけではないよ」

と付け加えるのを忘れずに。



期待を裏切られるのは傷つく。それが怖いから?

いや、それは私の理由ではない。



期待しないということは、夢を見ないに近い。

夢を見ない。予測しない。現実を受け止めたい。

それなりに情報に基づく予測はするけれど、

面白くなくなるので情報自体の収集を怠ることすらある。



自分を基準に他人を予想するのは危険だということは、

中学生の頃に気づいた。

「塾に行かなくても、勉強なんて授業聞いてればできるっしょ」

と言った時、友人の絶句する表情に驚いた。



自分はそれほど、特別ではないし、特別だなんて思いたくもなかった。

皆と一緒がよかった。委員長とかになるの面倒だから嫌だった。

でも、確かに、違うのだと気づいた。



良い、悪いの問題ではなく。得意、不得意の問題。

私は、たまたま、勉強が得意だった。特に女子が苦手だとされる数学なんかが…。普通に授業を聞いていれば、テスト前の一夜漬けでそこそこ何とかなる程度にできる。授業の内容がよく分からなくても、参考書を読み込めば。

でも、普通に授業を聞いても、分からない人もいるのだ。むしろ、その方が多いのだ。もしくは、そもそも普通に授業を聞くこと、聞いて何を学ぶのかよく分からないまま、そこにいる人もいるのだ。それならば、授業中に爆睡していても何の不思議もない。

テクニックの問題もあれば、性格的な面、基礎知識の有無、先生のスキキライ。

原因は何にしろ、苦手。勉強を苦手としている人は学生時代は特に多い。

そして、苦手でも克服する必要があれば、なんらかの手立てが必要となる。

だから、塾に行くなんて、むしろ、すごい真剣な取り組みなのだ。もちろん、そう意識していない人も多いけど、ちゃんと取り組んでいる人もいると知った。そういう人がいるのに、自分がたまたまできるだけのことを、自慢してどうするんだ。逆上がりができることを自慢するのと一緒じゃないか。と思った。



期待しない。

他にもいろいろ自分の中にその姿勢の起源はあるのだけれど、

一つはそういうことがあるんじゃないかな。と、思う。



まあ、他にも。

情報が足りない段階で変に予断を膨らませても、

判断を誤りかねない。と。いう理由もある。

実際に見てみないと、触ってみないと、分からないから。



そうして、期待自体を、予想自体をいつしかできなくなってしまったのだ。

漠然とした夢を、見れなくなってしまったのだ。

だから、裏切られて傷つくようなそんな場面がそもそもない。



期待する。未来の何かを予想するということは、決めることだ。

あらゆる可能性の中から、例えば一つ選んでみることだ。

それ以外の可能性を殺してしまうことだ。

期待した以外の結果を、排除してしまうことだ。



本当は、期待した以上の結果の方が、期待と全然違うストーリーの方が、好きだったりするかもしれないのに、もったいないじゃないかと思う。



もちろん、いくつもの筋書きを同時にたくさん抱えておけるのなら、期待もいいのだろうけど、私はそれもできないしな。と思う。



それにまだまだ、私自身の人生を完全に固める時期ではない。

という、おぼろげな判断もある。

今は、それほど、予断を持って行動しなくていい。

決めておかなくていい。



期待をしない。予断を持たない。

だから、ああ、この人はこういうとき、こういう風に動くんだな。

と、すんなり受け止められる。そして、それに対応する。

ただ、それだけのこと。



柔軟に、しなやかに生きていきたい。

できるだけ色々な色を生かしておきたい。

そんな理想論に基づいた、無茶な願い。

うん。。本当に予断をもっていないなんて言えないんだけどね。



とりあえず、将棋は苦手なんだ。昔から。
【2008/04/27 01:07】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0)
そして一歩も。
進んでいない。 そんなことに、気づく。 前は、どっちだ!?
【2008/04/20 23:01】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0)
手に入れることができるもの。
手に入れることができるもの。

手に入れることができないもの。



この線引きは難しい。



手に入れたもの。

手に入れられなかったもの。



この線引きも難しい。



生きている限り、可能性がある。



万に一つ、ありえない可能性でも、

言い切ることができない。

終わりを迎える、その時までは。

という理想論。





その時をのがせば、得られないチャンスがある。

その機会だけの、ワンチャンスがある。



その時を、もし見かけたら、のがしてはいけない。

幸運の女神の後ろ髪。



そんな女神が、目の前を通り過ぎることなんて、

一生のうちに一体何度あるものだろう。

第一、通り過ぎたことに気づくことができるとも限らない。



そんな現実。



大切に生きなければ、

そう思いながら。

ただ、漫然と、時は過ぎる。
【2008/04/13 21:53】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0)
大人になるということ。その2。
というわけで、いまいちしっくりこないまま。

悩み続ける若者です。半分嘘。

テーマが深いので、一概に言えることではないんだろうなあ、

と言ってしまえば終わりなわけですが、もう少し。



大人といっても、中にも、若者、老人という区分けもあるわけで、

現状の自分の年齢といえば、身近な中では、大人と呼ばれること

よりも、若者と区分される方が多いような気がします。



ま、実際のところ、この年齢(二十代終盤)で、シャカイジン二年目なので、二年目の他の人々の中に混ざって若く見られがちというところもあるようですが、若く見られたいのは基本的に女性の願望なので…よしということにしておきたい。

気にし始めると疲れますからね。



うん。。ただ、あれです。

いつまでも何年目というのでひとくくりにされるのは、さすがに嫌だな。とは思います。もちろん、経験は大事だろうけれど、皆が同じ速度、同じ密度で経験値を積んでるとは限らないと思うんですがね…。



ま、私が考えることではないし、まあ、どうしても嫌なら転職すればいいんだろう…。



さて、話をもどすと、大人にまつわるえとせとら。

例えば、対義語を考えてみましょう。大人の反対は子供。



大人=成熟

子供=未熟



でも、未熟=若者といういわれかたもあります。

だから、なんというか、大人の中にも未熟な成分は含まれそうです。

成熟のあと、熟しすぎると、実は落ちます。



若者といえば、老人。あとは、中年とか、青年とか。



で、先日の続きですが、大人を諦められる人、しかたがないことを、しかたがないと反発しない人、世の中のことについて、こんなもんだと折り合いをつけていきていければ、クールなんじゃないかなあと思ったのですが。。



全てに諦念を持ってしまう、となると、それは、大人というより、老人になっちゃいそうなんですね。

穏やかな余生をおくる雰囲気。

まったり人生の醸造期間。



ですから、折り合いをつけて生きて行ける人は、

大人というか、老成した大人。



なので、一概に大人のイメージにいれこむのもあれですね。

ちょっと元気がなさすぎるんじゃないかというのも確かなことです。



ま。そんな感じで。

やっぱり、自分で自分の行動に責任をとれる、

ように行動できる。くらいで、かっこいいかな。

私的大人のイメージ。



折り合いつけるのもいいけれど、

若さと呼ばれるようなエネルギーは

まだ、持っておきたいと思ったのでした。



ひとつ。子供を持つ親となると、また、違う考え方もあると思うのですが。
【2008/04/12 10:09】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0)
大人になるということ。
昔は、というより、つい最近くらいまで、

私の「大人」のイメージは、「自立」「自律」でありました。

(経済的にも、精神的にも)



まあ、今も、それがないわけではないのだけれど、もう一つ。



悪く言えば「諦念」「あきらめ」、

言葉をかえれば「折り合い」をつけることが、

スマートな大人なんだろうな。と。



そうしないと、がつがつ角がぶつかって痛い。

特に壁やマワリがガチガチだと、本当にしんどい。

あがけばあがくほど、満身創痍になっていって、

どろぬま。



なのに、周りの分別臭い人々は、

「そんなに嫌なら、もういいじゃないか。

 就職して、今はがんばって働いてるんだろ?」

なんて平気で言いやがる。



そりゃあ、今はいい。

その今をつくったのは、私だ。

でも、今がいいからって、どうして、過去を諦めなければならない?

その過去を、諦めてしまおうとすればするほど、

今に対する自分のモチベーションも消えていくのに。

無責任なことを言わないで。大人さん。。

と、怯えている。



私は、自分が、大人になることに怯えている。



研究室云々で結局どうにもならなかったことを

諦めようとしている自分について、

とても悲しいし、どう考えても理不尽だけれど、

どうしようもないこともあるんだなあ。

と、思い始めてしまっている自分に怯えている。



世の中には、多分、たくさんあるのだ。

個人の力ではどうしようもないゆがみが。

しわ寄せが。

理不尽が。



それらを飲み込んで、平気な顔をして、

自分自身をモチベートして、生きて行く。



自分の手の届く範囲の、目標を、あらたに生み出して、

あらたに拾い出して、生きて行く。



無理なものは、無理なんだから、もういいじゃん。

そう思える大人になりたい。

でも、無理でも、無理な理由が納得できないから、「制度の問題なら制度を変えればいいじゃないか、私は被害者なんだ。ちゃんと払った学費の分の権利を救ってくれ!」と、憤懣やるかたない、自分は、それを思うたびに泣くから疲れる。



大人になりきれない自分。

でも、私という人間にとっては、そんな自分の方がましだと思っているのかもしれない。



なにごとにも熱くなれない自分。流行にも、薀蓄にも、話題のスポットにも、他人のオススメレビューにも、まったくといっていいほど、心が動かない。動かそうと努力をすれば、動かされもするけれど、それは別にもともと興味があったわけではないのだ。一緒に誰かと遊びたいときに、そういう努力をする。



この年頃の女が化粧もしないで町に出歩くのはおかしいんだろうな、という客観性によって、とりあえずの化粧をするくらいの。自分。あまりみすぼらしい格好では、かえって浮くから、周りに合わせておしゃれをする自分。

無理をしているわけではないけれど、ただ、自分の見た目は、自分ではどうでもいいことだから、それなら、譲って周りに合わせておこうかくらいの感じの程度のもので。(まあ、この姿勢だから、全然合わせきれていないけれど(苦笑))



そんな自分は、多分、もともとの方が大人っぽい空虚さで。

だから、怒りは、私にしてはめずらしくて、

実はとても大事なものなんじゃないかなと。思ってもいる。



基本的に理想主義なんだけど、客観性があるために、

無理をごり押ししようという気持ちがなかったのだ、昔から。



それが、それでも押したいことが現れたのだからすごいことだな。

と思う。



折り合いをつけて、うまくやっていくのも一つの大人の生き方だろう。

でもそれって、あんまりおもしろそうじゃないんだよな。

少なくとも、私にとっては……

常態すぎて、たいくつ。

なのかな。



うん。話ねじれたけど、以上。
【2008/04/10 23:36】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0)
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